〜古代からの謎の解明〜古代人はピラミッド建造で何を伝えようとしたのか?

古代遺跡・古代文明 謎・ミステリー

このチャンネルでは、エジプトやピラミッドについてはあまり扱ってきませんでした。

その理由としては、しっかり調べてからにしようと思っていたからなのですが、先日の「アクァッホ」シリーズで少し触れた「ピラミッドは完成形より建造過程に意味がある」というフレーズにもあるように動画も作成段階に意味があるかと思い、自分の中でもまだまとまりきってはいませんが、結局は答えを出すのも難しいと思いますので、動画を投稿する中でみなさんからも意見をもらい完成形に近づけていこうと思います。では、エジプトシリーズ始まります。

ギザの大ピラミッド

エジプトにあるギザの大ピラミッドは、ピラミッド建築の頂点とされる「クフ王のピラミッド」だとされていて世界の七不思議で唯一現存する建造物ということになります。

この「ピラミッド」の定義というのは案外曖昧で、世界中にピラミッドは多数存在しているものの形や建築方法、そして、建造目的が違うと考えられますが、全てピラミッドと呼ぶのは、あらためて考えると適当すぎるような気がします。

私も専門家ではないので、定義を決めることはできませんが、ここではクフ王のピラミッドを地球上に現存する唯一の「真のピラミッド」だとして話を進めたいと思います。

もしかしたら、最終的にこの考えも違うのかもしれませんが、その時は修正していきたいと思います。

さて、話は少しそれましたが、このピラミッドはエジプト第4王朝のファラオ、クフ王の墳墓として紀元前2540年頃に20年以上かけて建築されたというのが現在のところの定説で、完成時の高さ146.6mは、14世紀以降ヨーロッパの教会建築がその高さを超えるまで世界で最も高い建造物でした。

世界最大級の建造物であるピラミッドを築いたとされるクフ王はギザの三大ピラミッドのカフラーの父であり、メンカウラーの祖父にもあたる偉大なファラオとして知られ紀元前2589年から紀元前2566年に王として在位していたとされますが、クフ王の名前は「クヌム神に護られしもの」という意味を持つ、「クヌム・クフ・ウイ」からその名前がきているそうです。

ギザのピラミッドは三大ピラミッドと呼ばれ3基が並んでいるのですが、
第一ピラミッドは「クフ王のピラミッド」、
第二ピラミッドは「カフラー王のピラミッド」、
第三ピラミッドは「メンカウラー王のピラミット」と呼ばれ、

オリオン座の配置と同じだとも言われていますが、それを否定する意見もあり、そのことについては、またあとで説明したいと思います。

ピラミッドが建てられた目的

ピラミッドが何のために建てられたのかは、現在においても謎とされていて今もさまざまな説があるのですが、そもそも「ピラミッド」とは、ギリシア語で「ピラミス」という三角形のパンのことを示すもので、エジプトではピラミッドを示す言葉はいくつかあったようですが、その一つとしてエジプトではピラミッドを「メル」と呼んでいたようで、古代エジプトでは象形文字ヒエログリフで「△」と示されたのみになります。

つまり、「ピラミッド」という呼び方は現代人が付けた呼び名であり、古代ではどう呼ばれていたかは不明ということになります。

ピラミッドが建てられた目的については、紀元前5世紀の歴史家ヘロドトスの『歴史』にはピラミッドは王墓であるとあり、以来、ピラミッドは「王の墓」であるとする説が一般化したと言われ、私たちは1,500年間ものあいだピラミッドを「王の墓」だと思い込んでいるということになります。

ここで「思い込んでいる」という表現を使ったのは、ご存知の人もいるように、ギザの三大ピラミッドではミイラは見つかっていないのみならず、残されている古代の文書にもピラミッド が墓だという記録はありません。

「王家の谷」と呼ばれるルクソールを見るとヒエログリフや壁画が目立ち、王家の墓には派手なヒエログリフや壁画がつきものだというのがわかるのですがそれと比べるとクフ王のピラミッドには「石棺」と呼ばれている蓋のない棺型の石はあるものの、実際にそれが棺だという証拠はなく、明らかに王家の谷にある古代ファラオたちの墓とは違うことがわかります。

一説によると、ピラミッドの作成は公共事業だったという話もあり、最近の研究者たちの間では、ピラミッドの建設はナイル川の氾濫によって、毎年一定の時期に農地を失う農民に仕事を与えるための、いわば公共事業だったという説が主流を占めつつあるようです。

事実、ピラミッドの近くで労働者の村の遺跡が発見され、出勤簿なども見つかっているから、これはかなり真実に近い可能性があります。

この出勤簿の内容には「二日酔いのために欠勤する」などという記述も見られたため、ピラミッドの建造が仕事として成り立っていたことを示す証拠と言えます。

しかしながら、その建設にはのべ10万人が3か月交代で休みなく働いて、20年かかっているという説から考察すると、公共事業として取り組んだにしてはあまりにも規模が大きく、そして、期間が短いように思います。

そもそも、農民に仕事を与えるためと言いながらも、目的不明の謎の巨大建造物を建てるという事業が本当に成り立つのかは疑問で、ひとつ2.5トンもある巨石を230万個も積み上げるには、かなりの危険も伴ったはずで、それなりの大義名分や道義・理念がないと達成できなかったはずで、それよりもこの歴史的建造物を作った目的が全く残されていないこと自体が疑問と言えます。

ピラミッドに関わる多くの謎

【ピラミッドの建造方法】

結局、調べれば調べるほど謎が深まるピラミッドですが、その建築方法がわかっていないのが最大の謎だとも言え、ヘロドトスは何らかの機械を用いたと書いていますが、その証拠は一切なく、現在では、ピラミッド周辺に土を盛って長いスロープを造って石を運んだというスロープ説が有力なようですが、そのような古典的で物理的な方法を用いて、本当にあのような巨大な建造物を作ることができるのかは疑問です。

【ピラミッドに隠された円周率】

ピラミッドの底辺の各辺の長さの和を高さの2倍で割ると円周率である「3.14」とほぼ合致する値がはじき出されることから、古代エジプト人は円周率を知っていたのではないかといわれています。

【スフィンクスの謎】

スフィンクスの肩から下にかけて無数に走る摩耗した岩肌に残るすじ。これは長年のあいだ歴史学者たちの頭を悩ましてきたようですが、これは、エジプトの地に大量の降雨があった時期があり「岩肌のすじ」は雨による浸食だと地質学者が発表し、世界を驚かせました。

定説ではスフィンクスの建造は、古王国の王が紀元前3000年~2000年に建設したとされていましたがその頃はすでに、エジプトは砂漠化が進み、大量の降雨などはなかったということがわかり、つまり、その地質学上の証拠からみると、スフィンクスは紀元前5000年より以前に建てられたとしか言いようがないということになるそうです。

気付いた人もいるかもしれませんが、そうするとスフィンクスはクフ王のピラミッドより以前に建造されたということになり、私たちが思う「スフィンクスはピラミッドを守っている」というイメージは間違いということになります。

もともと、スフィンクスがあり、その近くにピラミッドが建てられたと考えるとピラミッドの見え方が違ってくる以上にスフィンクスの方にも興味がいだかれます。

このスフィンクスについても、耳の後ろに入り口があり内部に人類の叡智が隠されているとか顔の部分は後から取り替えられたものだとかさらには80万年前に建造されたと学会で発表があったりと私たちの常識が完全に役に立たないような事実も隠されているようです。

80万年前というと文化的な人類はいるはずもなく、そうなると「誰が」スフィンクスを建造したのかという根本の疑問に行き着くのですが、それはまた別の動画にしたいと思います。

【ピラミッドとオリオン座の関係】

ギザの三大ピラミッドの並びがオリオン座の配置と同じだという話は聞いたことがある人も多いと思いますが、これは、イギリスの作家であるグラハム・ハンコック氏の「神々の指紋」により一般的にも広まりましたが、「神々の指紋」ではコンピューター・シミュレーションにより、その結果を導き出したようですが、これには反対意見もあるようです。

私もまだ深く調べていませんので、なんとも言えませんが、オリオン座の3つ星の写真とピラミッドの写真を重ね合わせてみると見た目ではピッタリと重なり大きさやズレがうまく説明できるように思います。

以前は、一番小さいメンカウラー王のピラミッドが、先の二人の王のものに比べて小さく作られたのは、財政難が理由ではないかともされてきたようですが、それを示す証拠はなく、このオリオン座との関係を見ると夜空の星をエジプトの大地に写したと言われると納得せざるをえないように思います。

さて、今回は世界の七不思議「ギザの三大ピラミッド」の基礎編ということで、基本的なことをお伝えしましたが、次回からは少しずつ掘り下げてその謎に迫りたいと思います。